作者:金庸
翻訳:岡崎由美、松田京子
初版:1959年(原作)
原題:神雕俠侶
全5巻
武侠とは
まず武侠って何?と思う方がいらっしゃると思います。
超簡単に説明します。
ドラゴンボールやハンターハンターにある「気」や「念」の概念を「内功・外功」といった武芸(カンフー)に置き換えて闘う人々を描いたチャンバラ活劇です。人間のできることの幅を少し踏み越えた世界で仁義を重んじて、徳を持って仇に報いる英雄たちが主人公となります。
映像で例えると、少林サッカーやカンフーハッスルのありえない動きにあたります。今思うと、チャウシンチーの映像表現の数々は間違いなく武侠小説からきています。
魅力的な人物がこれでもかというくらい登場し、そしてあっけなく散っていきます。展開の目まぐるしさ、飽きさせないスピード感も武侠小説の醍醐味です。
こんな創造性に富んだ話を1950年台に書かれていたことに驚きです。
国内では絶大な人気を誇るのに、なぜ海外輸出がうまくいかなかったのかは、きっと当時の人々が武侠の世界や概念をイメージしにくかったからだと思います。
それに比べて現在では漫画、アニメ、ゲームの普及と進化によって武侠の世界が以前よりイメージしやすくなっているはずです。(つまり流行るのでは……?)
武侠小説というジャンルで括られると、どうしても爽快でユーモアの富んだ戦闘が見られがちですが、基本的に人間ドラマが土台にあります。武侠の概念が分からなくても、なんとなく理解するだけでも十分に楽しめるかと思います。
ちなみに射鵰英雄伝、神雕俠侶、 笑傲江湖といった金庸の代表作は、名作のあまり本国で10回近く映像化されています。
このような作品を日本のもので例えようとしても思いつきません。
あまりの面白さに、もっと早く手を出すべきジャンルだったと後悔しています。
神雕俠侶
前作「射鵰英雄伝」が王道武侠冒険活劇なら、今作「神雕俠侶」は王道武侠ラブストーリーと言えるでしょう。
主人公は前作で裏切り者として無惨な死を遂げた楊康の息子・楊過です。
射鵰英雄伝を読んだ人なら「え、あいつの息子が主人公なの?」と思うはずです。
読む前
あの楊康の息子が主人公かよ……。今回は感情移入できなそうにないなぁ
読んだ後
楊過最高!楊過最高!!楊過最高!!!カッコ良すぎて涙……
手のひら返しも甚だしいですが、実際こうなりました。
もうね、楊過がイケメンすぎてね……。笑傲江湖の令狐冲が自分の中で燦然と輝く理想のヒーローだったのですが、楊過も同じくらい好きになりました。原作者である金庸大家も「楊過や令狐冲のような人物が大好きだ」と語っていたそうな。
主人公のあまりのカッコ良さに胸が熱くなって涙するってそうそうありません。
至高のラブストーリー
私は恋愛物の作品はあまり鑑賞しない傾向にありますが、それでも有名な作品はいくつか押さえてあると自負しています。好きな恋愛作品を思いつくままにあげると、伊豆の踊り子、春琴抄、タイタニック、心の旅路などです。
神雕俠侶は今までの恋愛作品の中でも一番感動して涙した作品となりました。
なぜここまで感動できたかと言うと、主人公の楊過に強く感情移入することができたからです。前作とのしがらみから、幼少の頃の生活を初め、様々な苦難を乗り越えて大人になっていく楊過の姿に自然に感情移入していきました。
前作からの積み上げた経験があったからこそ体験できたものです。物語の強さ、小説の素晴らしさを再認識しました。
射鵰英雄伝の郭靖×黄蓉は武侠小説界のベストカップルと言われるくらいですが、神雕俠侶の楊過×小龍女はこれに勝るとも劣らない別次元のベストカップルです。正直、楊過と小龍女の日本語ウィキペディアであらすじを読むだけで感動してしまいます。
一部翻訳に問題あり
唯一欠点を挙げるとすれば、翻訳がたまにおかしいところです。
冷水を浴びせられて目を覚ました楊過が、また狂ったように殴りかかる胸ぐらを掴んで、趙士敬は一喝した。
神雕剣侠第一巻より
このような描写がありますが、恐らくこう解釈できます。
冷水を浴びせられて目を覚ました楊過が、また狂ったように殴りかかるので、趙士敬は胸ぐらを掴んで一喝した。
このように、読んでて「ん?」となるようなちょっとした誤訳が見受けられます。おそらく翻訳している人も物語に惹き込まれて、熱くなって筆が乗って勢い余って訳してしまったのでしょう。
たとえ翻訳に多少のミスがあっても、文章に情熱が感じられるので大丈夫です。また、大きなミスはないので変な描写が見受けられたら、続きの文章を読んで「ああ、つまりこういうことを言ってるんだな」と自己解釈すれば理解できます。
感想
寝る間を惜しんで夢中になって読み耽りました。いまだに寝不足で辛い日々を過ごしていますが、後悔はしていません。
なぜなら、神雕俠侶の物語が最高だったからです。
このような様々な感情が爆発する雄大な作品を一つの記事でレビューしようとするのがそもそもの間違いでした。次回からは各巻レビューを行いたいと思います。
それにしても、よくこんな美しいストーリーを思いついたなと感服しています。特に最終巻からの怒涛の展開は絶品です。
ここまで美しく、ピュアな恋物語を描いた作品は神雕俠侶以外に知りません。
楊過と小龍女は本国ではベストカップルの代名詞のようになっているみたいですが、納得です。
感動したポイント
好きな場面は数多くありますが、その中でもとりわけ心に響いた4つを記しておきます。(あくまで自分のメモ用に)
※クリックするとネタバレが開きますのでご注意ください
まずは原作を読むことをおすすめします
ここまで感動できたのは積み上がった言葉の力です。
もしこれが映像化されたとしても、頭の中で完成された自分だけの神雕俠侶のイメージには劣るでしょう。
少しだけドラマ版の神雕俠侶を観ましたが、すぐに停止ボタンを押しました。自分の中の楊過は日本語を喋るし、もっとカッコいいんです。そして武芸ももっとスピーディかつ繊細なのです。自分だけのイメージで世界を構築できる、それが小説の魅力なのだと思います。
中国では原作を読んで当たり前の作品なので、映像化は二次創作だと思った方がいいかもしれません。さらに内容自体改変されている箇所が多々見受けられます。
原作が良すぎるため、映像化されたものは「射鵰英雄伝ごっこ」「神雕俠侶ごっこ」をしている二次創作だと思って観ると楽しめると思います。ですので、より映像化を楽しむためにも、やはり原作から読むことをお勧めしたいです。
購入するなら
悲しいことに電子書籍版(日本語訳)がないため、Amazon、メルカリ、ヤフオクなどのマーケットプレイスで中古本を購入することになります。一部新品も売っていますが、シリーズを通して購入すると中古品がどうしても混じってしまいます。私はメルカリでまとめ買いしました。
余談
映画「カンフーハッスル(2004)」でラスボスの火雲邪神が、ある武芸の達人夫婦に向かってこう言います。
火雲邪神「その気迫、お二人は伝説の神雕俠侶では?」
セクハラ好きの太極拳のおっさん「楊過だ」
家賃に厳しい騒音おばさん「小龍女」
楊過・小龍女という言葉は、中国では「絶世の美男美女カップル」という意味で通用します。
おそらく、カンフーハッスルではギャグとしてこの夫婦がそう名乗ったのでしょう。神雕俠侶を知っている人にとって「これがあの楊過と小龍女なの?!」と笑う場面だったはずです。
しかし、日本語ウィキを読むと「その夫婦の正体は、楊過と小龍女!」と当然のように書かれていました。
ボクは絶対に認めません!
読了までにかかった時間:約30時間00分
個人的評価 | 100点 |
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物語 | |
文章(翻訳) |
・ピュアなラブストーリーが好き
・射鵰英雄伝が好き
・爽快感のあるアクションと奇想天外な発想を楽しみたい