読むきっかけ
現在、アラサーのわたしは転職を考えています。
「20代、30代で今後のキャリアを考えるヒトにおすすめしたい一冊!」に本書が紹介されていたので
藁にもすがる思いで(?)読んでみました。
……………………。
結果:今の私の境遇にうってつけの良い本でした!!
こういう不意をつくような出会いがあるから、本の衝動買いはやめられません。
ざっくり解説
本書は伝説の人事部長「石川さん」の研修を通して社会人にとって大事な視点を問いかけてくれるようなお話です。
たとえ話として寓話を使っているので、内容がとてもわかりやすい。
物語の登場人物も若く、マンガのようなセリフ回しで進行していくので、読書に慣れていない方でもサクッと読めると思います。
個人的に刺さった内容を自分の経験を交えながら紹介していきたいと思います。
寓話から得られた学び(クリックするとネタバレが開きます)
ウサギの挑発に乗って亀が徒競走の勝負をすることになる。ウサギが油断してサボったことによってうっかり亀が勝ってしまうが、それを努力の結晶として美談化されていることが問題として挙げられる。
私は生まれつき絵が壊滅的に下手でした。小学生のころ、絵がとても上手な友達がいました。そのお父さんも元ヤンだったのに絵がすごく上手でした。立体把握能力が生まれながらに秀でている気がしました。
絵の上手な同級生と、同じデザイン専門学校に進学しました。同級生は途中でグレて不登校になりました。私はその間、毎日4時間シャドードローイングやポーズを変えた模型のスケッチを練習をしました。夏休みも含め、ほぼ毎日の努力でした。
たしかに絵は以前よりまともになりました。特に線が綺麗になった。しかしまだ立体的な絵を描くことがどうしてもできませんでした。
あるときサボっていた同級生が復帰しました。先生に指導を受けて一ヶ月居残り授業をしていました。
一ヶ月後、同級生の絵はとてつもないくらい上手になっていました。私の成長速度とは比較になりません。自転車と飛行機の差かと思いました。才能×努力で例えるとわかりやすいです。私が1×8で成果を出しても他人の2×4以上にはならないんだと悟りました。
何が言いたいかというと、自分の得意なフィールドで勝負することが大切ということです。
自分の強み、得意なことを理解して、一時の感情に流されず行動することの大切さ。己の持っている資質。生い立ち。それこそ遺伝のレベルからさかのぼって考えてみる大切さを実感しました。
戦略的に自分のフィールドを考えることがキャリア形成に繋がる。具体性、突破できるポイントの数が(イメージできる数、課題数など)論点の多さとなるようです。大事なのは自分の土俵は自分で定義しなければならないことです。
ウサギとカメから得られた学び:自分の得意なフィールドを自身で見出すこと。一時の感情、短期間の視点で人生を棒にふるのはもったいないということ
「バカには見えない」と献上された服を大臣が担ぐ。王様は大臣たちに騙されて裸になる。そんなお話です。
この寓話で取り扱われたキーワードは「空気を読む」ということ。大臣たちは空気を読んで服があると主張し、王様も空気を読んで裸になって着替える素振りをみせた。
しかし、この寓話で分かる通り、空気を読むことは正しいことだとは限らない。
ヒトは論理的な判断基準と空気を読んだ判断基準に揺れる場面があるという。
また、何も理解していないのに信頼している人の言葉だからと信じてしまうこともある。
「こうしないとあの人が傷つくから」と嘘をついたり、
誰かの頼み事をきっぱりと断れなかったり、と優柔不断な経験があります。
周りの空気、情報操作に気圧されてしまったのです。本能や直感が大事です。
本書では論理的な判断が大事と書かれているものの、絶対正論マンの窮屈さもあげられていて、一長一短な気がしました。空気だけで判断するのではなく、その傍らで論理的な思考をすることが大切なんですね。
裸の王様から得られた学び:空気を読む一方で論理的な思考を忘れないこと。客観視を忘れない。
羊が逃げないための見張り番をしていた少年。暇つぶしか、イタズラ心か、村人に「オオカミがきたぞ!」と嘘をついて大騒乱を起こす。少年は村人たちから信頼を失った。ところが、今度は本当にオオカミが来てしまった。「オオカミがきたぞ!」と少年が叫んだが、村人たちは二度とその手は食うものかと知らん顔。結果、羊たちは全滅。村は大きな損害を被ることになる。
なぜ村人たちは羊たちの安全管理を少年に任せてしまったのでしょうか?
それは 起きる可能性(低)×起きたときのインパクト(小) と見積もったからです。
結果は 起きる可能性(低)×起きたときのインパクト(大)となったわけですが……。
私も毎日、働く施設で早朝と夕方に安全管理の巡回をしています。消火栓などをいちいち開けてチェックしたりしますが、もし万が一が起きたときのインパクトはやはり大きいです。
未来を見据えて行動することの大切さ。起きる可能性の低さ=起きたときのインパクトは小さい と勘違いしがちな思考にも気をつけねばなりません。
実際に起こったことがないからという理由で、安く見積もりがちな要素が多くありそうです。
失敗した当事者の立場に立つと合理性が見える。それが学びの種になる。大事ですね。
オオカミ少年から得られた学び:リスク管理の優先順位の意識。低い可能性×起きたときの損失の落とし穴に注意する。
桃から生まれた桃太郎。鬼の悪い噂を聞き、退治するために鬼ヶ島に行くことに。道中で犬、キジ、猿の3匹を餌付けして仲間にする。そして鬼退治に成功する。鬼たちは反許してもらうかわりに財宝を桃太郎に渡しました。めでたしめでたし。
桃太郎の話は王道RPGのようで結構好きです。
動物を仲間にするところは西遊記に似ていますね。それ以外は別物ですが。
本書では桃太郎の仲間3匹の鬼退治の動機は本当に「餌付け」だけではなかったのではないか、と考えます。
ハーズバーグのモチベーション理論というものを例に出して解説されています。
人は仕事をする上で欠かせない動機が2つある。
第一に「衛生要因」
これは給与、人間関係、職場環境など「待遇」を司る要因です。実際無償で仕事をしたら生きていけないですからね。ギリギリ低空飛行も嫌ですけど。。
第二に「動機づけ要因」
これは達成感、承認欲求(自己重要感)、仕事の意義を司る要因です。
この2つのレバーを同時に引くことがモチベーション装置の起動に繋がるとういうわけです。
ところで、衛生要因と動機づけ要因には大きな違いがあるそうです。
それは、衛生要因はある程度満たされたら仕事のモチベーションが頭打ちになってしまうこと。
例えとして1000万円の報酬と2000万円の報酬、どちらも同じ仕事内容。でも取り組む姿勢はさして変わらないということ。
一方、動機づけ要因は仕事の意義、目的、達成感などがあります。これらの限界値はお金の報酬と違ってもっとあげていくことができるとされます。
現在の自分の感想:どちらも大事ですけど、土台としてはやはり衛生要因かな、、と思ったりします。
今の職場は動機づけ要因は最高です。しかし、衛生要因は正直かなり厳しい。。
動機づけのほうはとにかく満たされていて毎日が明るい。一方で衛生要因が厳しく、お金が常にない。その日暮らししかできない(むしろ徐々に貯金が減っている)焦燥感があったり。。相談できる人物が周りに少なかったりときびしいところ。
衛生要因は不満をなくすこと。動機づけ要因は満足度を高めること。が大事。
話を戻します。桃太郎の仲間の3匹はきび団子だけでなく、鬼退治をする目的が別にあったのではないかと解説されました。(モチベーション理論)
今度は鬼退治そのものです。
そもそも鬼退治をする動機があまりに淡白すぎる。そんな問いかけがはじまります。
鬼から直接被害にあった悪い噂はどこにもない。鬼は力が強くて怖そうな顔をしている。印象だけで決めた固定観念で鬼退治が敢行されてしまった可能性があるのです。
実はこういう「桃太郎型」の薄っぺらい大義はあちこちに転がっているそうです。
桃太郎型の正義の問題点は対立関係を必ず作ってしまうこと。一度結束した正義は悪を滅びしたあと、次に新たな悪を探し始める。その悪は無理やり作り出されてしまうこともあり、内部に敵を生み出す危険性も孕んでいる。
学生時代。誰かの悪口を言い合って仲良しごっこをする集団がいましたよね。あれは標的がクリアされてしまったら新たな標的を生み出す危険があるということです。それも理不尽に。
つまり、誰かを標的にして、それに向かって一致団結するスタイルは負のスパイルを生むということ。
敵を作って組織や集団を動かすということは、ネガティブな感情がドライバーになっています。リーダーがネガティブな言葉を口にすると、いつ自分がその対象になるのか内心落ち着かなくなってしまいます。
だから、矛先が自分に向く前に、他の人間を標的にして線引にしようとする行動が生まれる。この内部分断する悪循環は禁断の果実で一度始まったら止めるのが困難になるという。
解決策は?
最初に鬼と対話をするべきだったのです。
対話の内容は?
共通項を探すこと。一番強力な共通項は世界観。
どういう世界を望んでいるのか、対話を通じて共通認識を作ることが大事。そうすれば分断の罠を回避することができるという。
人間は対面していると、自分と違うところばかりが目についてしまう。しかし、横に座って同じ方向を見ながら共通項を語り合うことが大事。
桃太郎から得られた学び:ネガティブな大義を掲げないこと。どんな世界を実現したいのか、目指している場所の共通認識を見出す対話が大事。ハーズバーグのモチベーション理論。
北風と太陽が旅人のコートをどちらが脱がせられるか勝負することに。北風は風を起こしてコートを無理やり剥がそうとしたが、旅人はコートが脱げないように必死になる。太陽は暑さを起こすと旅人はコートを脱ぎ始めた。太陽の勝利。
太陽と北風の違いはなにか?
本書では「手段」「目的」「相手」の3つの要素に分解して解説されています。北風はコートを脱がす「目的」と風を起こして無理やり剥がそうとする「手段」しか考えていませんでした。
一方、太陽はコートを脱がす「目的」のために旅人自らがコートを脱がすために必要なことはなにか、と「相手」のことを想像しました。相手のことを想像して考えた「手段」を実践して見事コートを脱がすことに成功したのです。
もっと現実的な例えに置き換えてみます。
おもちゃを片付けない子供がいました。
お母さんは怒鳴って片付けろ、周りが迷惑だ、と叱りつけて片付けさせようとします。しかし一向に改善されません。
一方お父さんは片付けという言葉を使わず、おもちゃの収納箱を汽車に見立てて子供におもちゃ(一般人)を入れさせる(乗客)ように誘導します。子供は喜んで協力して、片付けとは知らずにことを終えてしまうでしょう。
上記のおもちゃ片付けの話はカーネギーの「人を動かす」のエピソードを思い出しながら書いたものです。
目的を達成させるための手段には、相手のことを考えることが大事というわけですね。
また、ビジネスの話で需要と供給にわけて解説もされています。
「需要」には目的と相手の視点
「供給」には手段
需要は目に見えづらく、抽象的です。一方で供給はやることがはっきりしていて具体性がある。
マーケティングの本質は相手の価値観を「理解すること」にある。相手に憑依するくらいの姿勢で考え抜くことが重要。具体性の強い手段という引力に負けず、需要をしっかり見定めること。
藁しべ→アブ付き藁しべ→ミカン→反物→馬→屋敷 と持ち物を交換してアップグレードしていくうちに貧乏からお金持ちになるお話。
藁だけではミカンは手に入らない。アブをつけるという「組み合わせ」による付加価値を生み出すことに重要な意味があるそうです。
付加価値はスキルとスキルの組み合わせ。些細なスキルのことを「マイクロスキル」と本書では解説しています。
どんなマイクロスキルが眠っているかの「認識」することが必要です。つまり、己を内省することが大事。
複数のマイクロスキルが見つかったらどんな組み合わせがよいか「着想」します。着想に付加価値を見出すことができたら、それを実現させるための実装力(技術)が問われます。
付加価値を見出すためのポイントは自分ではなく「需要(相手)」の視点です。
わらしべ長者のストーリーは自分ではなく、「相手側」が価値を見出して交換していくことがミソ。
しかし、意思決定はあくまで主人公サイドにあり、責任は主人公にあるのも事実です。つまり自分の意思で納得して行動することが大切です。理不尽に感じたことがあるなら、納得するまで説明してもらうこと。理不尽に慣れてしまうと心が麻痺して思考停止に陥ってしまう可能性があります
もし納得できないことがあれば、そこから逃げてもいい、と書かれています。
誰もがマイクロスキルを持っている。大事なことはマイクロスキルを組み合わせること。付加価値を決めるのは相手次第なので自分で勝手に諦めない。自分の人生は自分で決める覚悟を持つ。自分の強み=マイクロスキルを組み合わせて付加価値を考える。そして相手に価値のあるストーリーを作ってみる。試行錯誤すべし。
いじめられた亀を助けたら「竜宮城」に連れて行ってくれるそうだ。浦島太郎は承諾し、竜宮城で幸せな日々を過ごす。しかし、開けてはいけないと持たされたお土産の玉手箱を開けてしまい、おじいさんになってしまう。おわり
藁しべ長者の研修から2年後。
主人公のサカモトくんは会社でトップクラスの業績をあげるようになります。しかし、上司ひいては会社に対して不満があり、転職を考えていました。
理由は自分の新しい営業手法の提案を却下されたからです。
変化をおそれず向上していく気のない会社にいたくない。自分は会社のためを、今後の将来を見据えて提案したつもりだったのに……。
という感じでやる気も下がり上司からの評価も下がっていきました。その折に、学生時代の知人からスタートアップ企業の誘いがきます。しかも、大きな仕事を任せてくれるポジションにつけるという。
そんな面持ちのまま転職を前提に、新しい研修が始まろうとしていました。
そこでわかったことはサカモトくんにとって大事なことでした。
まず第一に会社を辞めようと思わなかった人間はいなかったこと。
次にみんな上司に対して何かしらの不満を持っていてそれが普通であった=完璧な人間などいないということ
完璧すぎる人間は逆に居心地が悪いとデメリットすらあったこと。
環境に何らかの欠点があるとすぐに断片的な事実(正論)を掲げて不満を声高に叫ぶ人がいること。
そして、そういった人は他の環境に羨望の眼差しを向ける傾向にあるということ。例:隣の芝は青く見える
そういう人を「野党思考」というそうです。
サカモトくんは、自分と似た境遇で、同じような考えを持つ仲間の意見を聞きながら、もしかして「野党思考」に自分は陥っているのではないかと思うようになりました。
このタイミングで浦島太郎の寓話が例に取り上げられます。
ポイントは、なぜ具体的な説明も受けず、浦島太郎はすぐに竜宮城行きを承諾してしまったのか。
おそらく、日常の生活で何かしらの不満があり、絡め取られた毎日から脱却したい、変化したい思いがあったのではないか、と意見が進んでいきます。
少し強引かもしれませんが、浦島太郎も隣の芝が青く見えていたわけです。
私の職場にも筋の通った不満(正論)を挙げる人がたくさんいます。
お互いの現場の意見の不満がぶつかりあって衝突することもしばしば。
見据えている目標が異なるのと、手段が目的にすり替わっているケースが多いから、こうなってしまう気がします。
責任者や管理者は大局的に物事を見据えて目的をぶれないようにマネジメントすることが大事なのかもしれません。私も野党思考に陥らないように気をつけなければ。
全員にとって完璧な制度はありえない。断片的で短期的な視点から正論を言うことを「野党思考」という。野党思考に陥った人は外に完璧な世界があると考えて、深く考えずに理想を追求してしまいやすい。普段から「自分が責任者だったらどうするか」という「与党思考」で考えるトレーニングが重要。
夏の間、アリたちは冬に備えて食べ物を運んでいた。一方、キリギリスはそんなアリを鼻で笑い、歌ったりバイオリンを弾いたり自分の好きなことをして謳歌していた。冬になると、食べ物がなくなり凍えてしまうキリギリス。アリのことを思い出し食べ物を分けてもらおうとお願いしに行くと、「夏は歌ったのだから、冬は踊ったら?w」と言い返されて餓死してしまう。
この物語を通して、アリのように計画性を持つこと。そして、勤勉さを忘れないこと。そのように受け取る方が多いと思われます。私もそうです。
しかし、石川さんの研修ではアリの生き方とキリギリスの生き方を比べることから始まります。
アリは大きな組織の一部として同調圧力に耐えながら淡々と仕事をこなしています。
そのような生き方は「他人の人生を生きがち」と石川さんは説明します。みんな自分の役割を脇目もふらずにやるだけで終わってしまう。そのような脳死状態動きは「他人の人生を生きている」と言うそうです。
そんなアリたちをよそ目に、自分のやりたいことをやろうとしているキリギリス。
本当に幸せなのはどちらだったのでしょうか。
しかし、キリギリスのような生き方をした人間だけでは組織としてまとまることはできません。
でも「苦行に耐えるのが仕事」「自分を圧し殺してこそ仕事」といったアリのような間違った価値観をもってはならない。
重要なのはバランス。つまり、自分の人生であるということを大切に主導権を持ちつつ、他者や組織の視点をそこに取り組むことが大事だといいます。
誰かがこういっていた、とか「ネットにこう書いてあった」とか、「三人称」の視点から考えるのはNG。
ネットのレビューでは酷評だけど、自分はこの作品が好きっていう事例がたまにあります。そういった感覚を大事にしていきたいです。
一人称で物事を考えて自分の人生を大切にしなくてはならない。他者に主導権を奪われてはいけない。上司の課題を自分に取り組まない。自分の仕事は精一杯やる。仕事はまず自分でどうしたいのか、という一人称で考える。組織の三人称の視点は一人称で考えたあと、柔軟に取り入れていく。一人称で考えるのは練習が必要。練習しなければ同じことを繰り返してしまう。
心優しい老夫婦と欲深い隣人夫婦が、不思議な力を持った犬をきっかけに前者は幸福に後者は不幸になるという内容。 日本では室町時代末期から江戸時代初期にかけて成立した勧善懲悪の話。 朝鮮半島や中国にも似た話がある。 江戸時代の赤本のタイトルは『枯木に花咲かせ爺』、燕石雑志では『花咲翁』になっている。(引用:wkipedia)
石川さんは「人生はマラソンである」と話します。
それもゴールの見えない長い戦いであると。
どうしたらそのようなマラソンを走り抜くことができるのか?
走る過程の楽しみ方を見つけ、実践することが大切だと言います。
辛いけど頑張る、というメンタルは絶対に続きません。過程を楽しむのが大事であると。
楽しみ方は誰かが教えてくれるものではなく、自分で決めるもの。
自分でルールを決められるゴールのないマラソンが人生です。
その事実に気がつくまで、石川さんは偏差値教に囚われていたといいます。
偏差値教とは「人を学歴や経歴でみたり」「単一の尺度で物事を判断したり」「その尺度は誰かが決める」他人が決めた価値のなかで生きている宗教です。アリとキリギリスの話でも出てきた3人称で物事を考えてしまうことでもあります。
人生という長いマラソンを謳歌するためには自身の価値観に気づくことから始まるそうです。
他人が決めた尺度のなかで一喜一憂する必要はないのです。
そこで唐突に「花咲かじいさん」の話に広がります。
幸せなお爺さんと欲張りなお爺さんの違いは価値観の違いだったのです。
欲張り爺さんは目に映るものは金にしか変換されません。一方で幸せなお爺さんは欲張りお爺さんに比べ色々なものが見えています。なぜなら「幸せ」という抽象度の高いことを実現するためには、様々な物事を視野に入れなければならないからだと言います。
これは、仕事においても同じことな気がします。
目的や目標、それに対する価値観を明確にしてプロ意識を持って働く人と、嫌々やっている人。当然物事の見え方が異なります。
転職云々よりもまずは自分の人生のルールを決めて、その価値観を理解することが大切なのだと思いました。
でも幸せというキーワードから行動を起こしたり、物事を考えることって、具体的にどうすれば良いのだろう……。
役職や年収という分かりやすい記号に人の見方を固定化させてはいけない。自分だけの人生の価値観に気づき、抽象度の高い目的を持つこと。
おじいさんが甘く大きく育つようにと願ってカブの種を植えました。やがてカブの種は信じられないくらい大きく育ちました。一人じゃ抜けないので、奥さんを呼んで手伝ってもらうことに。それでも抜けないため、今度は孫娘を呼びました。でも抜けない。今度は犬、最後にはネズミまで参加してカブを引っこ抜こうと協力して最後は見事抜くことに成功します。めでたしめでたし。
「キャリアプラン、多様な価値観といってもピンときません。なぜなら僕は今営業で成果を出せず、チームのお荷物のような存在だからです。いまキャリアプランと言われても、現状から逃げているようで、現実味が持てないです。まず組織の一員として認められるために何をするべきかが知りたいです」
キャラクターの一人が石川さんにこう言いました。
すると、今回はキャリアを一旦おいて仕事術の話をすることになります。
石川さんはホワイトボードに「フロー型」「ストック型」の言葉を書きました。
フロー型:経験がすべて流されてしまう。積み上がっていかないタイプ。
ストック型:経験がフォーマットとして蓄積されていくタイプ。
仕事の成果を高めるために、勝負のポイントを整理して「フォーマット化」してみる必要があります。それが「ストック」の質を高めることに繋がるといいます。
成果を定義してから、要素を分解していく。ごちゃごちゃしたアイデアの乱立の前に、まずはここからはじめると良いみたいです。
まず達成すべき成果の再上位概念を見据えます。(抽象的なレベルで全体像を把握)
次に、最上位概念の一個下の2段めの抽象的な要素を3〜5つあげます。←重要
この3つ〜5つの塊で仕事の目的の全体像を把握することが大事らしいです。
仕事術の話が盛り上がったところで、「おおきなかぶ」の寓話が話題にあがります。
この話の特徴は、フロー型で終わってしまうということ。
「大きなかぶを引き抜く」という成果をあげるために、勝負となるポイントを理解しないまま、強引に引き抜いてしまう。そして次に活かすためにフォーマット化もしていない。なのでこの話はフロー型で終わってしまってもったいないね、という話題でした。
結構こじつけ感強いです。
正直な話、勝負のポイントはともかく、フォーマット化は寓話の目的から外れているのであえて書かなかったという説をおしたいです。たとえ話を出したほうが印象に残りやすいからですね。。本書でもそれにツッコミを入れています。
成長=経験の数×ストック率 という図式でこの話は締められます。
出すべき成果を見定めて、そのための勝負のポイントを3〜5つに分解すること。いきなり具体的な打ち手に出ると、大抵抜け漏れが出る。抽象的なレベルの分解を意識する。人の成長は経験の数とストック率に依存する。一つ一つの経験が成長につながるように、丁寧に振り返ることが大切。
目的もなく金銀財宝を集めていた泥棒三人組。ある日馬車を襲ったら女の子しかいない。仕方なくその子をアジトに連れ去ることに。女の子は集めていたお宝を前にして「そのお宝、どうするの。何に使うの?」と素朴な疑問を口にする。その言葉にハッとした三人はお宝を何に使うか考え始める。考えた結果、みなしごたちが集まって仲良く暮らしている国の未来を思い描く。以降泥棒三人組は国造りに奔走して豊かな国を作っていく。ハッピーエンド
哲学的な問い:本質的、長期的ですぐに答えがでない根源的な問い
実務的な問い:身の回りにあふれている表面的な問い
伝説的な人事部長と持て囃されている石川さんにも、若い頃の苦い経験がありました。
それは目の前にある出世のことしか考えず、周りの人間が続々と離れていった過去です。そのときリーダーを外され、哲学的な問いを社長から言われました。「あなたはリーダーですか?ならば、あなただけにしか見えない未来はありますか」と。
石川さんの頭にこの言葉がずっと残りました。そしてどんな会社が理想なのか、と大きなイメージからたどって自分のやりたいことが見えてきたそうです。理想の会社、という哲学的な問いから見据えて自分の価値観と合致した未来像。それが見えてはじめてリーダーになれるそうです。
違う本の紹介として、頭と心が一致すると吹っ切れる。そうなればこっちのもの、らしいです。
そこから「すてきな三にんぐみ」の話に入ります。
彼らは追い剥ぎを繰り返し、財宝を集めていたけれど、何に使うべきか考えていなかった。そこで少女に「どうするの?」と素朴な疑問を口にされて、はじめて考えだします。3人は「みなしごたちが仲良く暮らす素敵な王国」という抽象的だけど自分たちの価値観に合致した理想の未来を描くことができました。そこから、彼らは国造りのために奔走して人々に喜ばれます。
石川さんと違って三人組はすぐに未来を描くことができたけど、単純そうでそれが難しいと思いました。
でも、三人組のように単純で抽象的なキーワードから自分の価値観を使って行動の動機を紐付けていけば、もしかしたら未来が見えるのかもしれない……?
リーダーとは肩書ではなく、「自分だけにしか見えていない未来」に歩き始めている人のこと。自分だけの未来をみるためには、一人で内省する時間が必要。つまりスケジュールを変えなくてはいけない。リーダーは本質的、長期的で答えの出にくい「哲学的な問い」に向き合わなければならない。
旅人が、三人のレンガ積み職人に「何をしているか?」と問います。一人目は「目の前のレンガを積み上げている」と答える。二人目は「壁を作っている」と答える。三人目は「立派な大聖堂を作っている。誇りのある仕事だ」と答える。そんなお話。
もしあなたが、三人のレンガ積み職人に仕事をお願いするとしたら、誰にしますか?
当然、「立派な大聖堂を作る」目的意識があり、自分の仕事にやり甲斐を感じている三人目になりますよね。
この寓話では、目的意識(マクロ)の違いで現場でのミクロの作業の質が違ってくることを教えてくれます。
目的意識が大事なことがわかった次の段階で石川さんは「目的のピラミッド作り」の話をします。
目的のピラミッドの作り方はまず、身近な業務の内容について「なんでこの仕事をしているのか」「何をやり甲斐に感じているのか」を掘り下げ、言語化します。
言語化したものから、さらに抽象的に掘り下げを進めていくとできていく仕組みです。
主人公の坂本くんの例ですが
第一層:システムの法人向け新規営業
第二層:お客さんの仕事の効率化
第三層:もっと価値のある仕事への注力
第四層:豊かな世の中の実現
第五層:世界平和の実現
となっています。第一層をすることで何に繋がるのか、というように掘り下げていっているのがわかりますね。掘り下げるほど抽象度が高くなり、胡散臭くなっていきます。
具体的には第四層から胡散臭くなっています。なので、第三層から考えて第一層のことを取り組むと、目の前の仕事の視野が広がります。
すると、第三層からの視点で第二層の取り組み方を変えたり、第二層の視点で第一層の取り組み方を変えたりと、より自分の仕事のスタイルに幅が広がります。
大事なのは自分が信じられるラインを見極めること。大事なのは目的であって手段ではないこと。です。
キャリアには「節目」がある。「節目」では、思う存分脇道にそれて、その期待を謳歌してみる。それがその後の人生につながってくる。「ネガティブ・ケイパビリティ」とは答えのない状態をホールドする力。答えの出せない問いは、無理に答えを出さなくても良い。キャリアの問いに答えるには、「目的のピラミッド」を作ってみる。自分にとって何が最上位の目的なのかがわかれば、あとはすべて手段になる。
感想
自分自身のキャリアを考えるうえで、とても役に立つ本でした。
寓話で例えた教えが、現実世界の出来事に当てはめやすく、
「あ、藁を手にで出てきた話に近い!」と気づくことがしばしばありました。
結局、この本で自分自身がやりたいことは見つけられませんでした。
もしかしたら見つからないこと自体が正解であって、紆余曲折に進む人生も一つの道なのかもしれません。
読みやすく、タメになる。役に立つこと知識がたくさんつまっています。
若い人に読んでもらいたい良い本だと思いました。
個人的評価 | |
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タメになった | |
読みやすさ |
読了までにかかった時間:約6時間00分